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水木洋子(1910~2003)

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水木 洋子(みずき ようこ)

脚本家
1910年(明治43年)~2003年(平成15年)


1910年(明治43年)、東京市京橋区本材木町(現在の中央区京橋1丁目)に生まれる。本名は、高木 富子。1928年(昭和3年)、日本女子大学校国文学部(現在の日本女子大学文学部日本文学科)に入学。在学中に演劇に目覚め、1931年(昭和6年)卒業を目前に文化学院文学部専攻科演劇科へ転校。また、築地小劇場にあったプロレタリア演劇研究所にも通うようになり、戯曲や小説を書き始める。1932年(昭和7年)、同研究所の研修コースである左翼劇場正月公演『赤いメガホン』内の1作品「子どもをめぐる」に出演し、初舞台を踏む。同年3月、文化学院文学部演劇科を卒業し、左翼劇場文芸部へ正式に入団。『赤い火花の人々』『乞食芝居』『パン』といった作品に出演した。1938年(昭和13年)、劇団プレイボーイズ旗揚げ公演のため、細田民樹の小説『生活線ABC』の脚色を初めて手がける。1934年(昭和9年)、父が死去。家族を支えるために筆一本で生きる決意を固め、劇作家を志すようになる。1935年(昭和10年)、菊池寛主宰の脚本研究会に『クレオパトラ美容室』を応募し、優秀作品として選ばれたことで入会。1937年(昭和12年)、前年に脚本研究会に発表した『白き一頁』が新派によって明治座で上演され、プロとしての歩み始める。同年、NHKラジオが始めた家庭コント『花束が出来るまで』の脚本を担当し、ラジオドラマの世界にも進出。1938年(昭和13年)、東宝の助監督だった谷口千吉と結婚。しかし、翌年に協議離婚となった。1941年(昭和16年)、日本放送協会放送劇部門嘱託となり、仕事の中心はラジオに移る。1942年(昭和17年)、太平洋戦争1周年にあたり南方へ派遣される女流作家9人の1人に選出。陸軍省嘱託として南方への2ヶ月間出張の辞令を報道部から受け、シンガポール・ラングーン・中国 雲南省と渡る。同年、『林道』でラジオ賞を受賞。1946年(昭和21年)、戦後第一作目となる脚本『星の夜なら』を発表。1948年(昭和23年)、学生時代からロシア語を師事していた八住利雄から映画のシナリオを書くことをすすめられ、『映画春秋』6月号に「女の一生」を発表。翌年、亀井文夫監督による東宝映画『女の一生』が封切りとなり、映画脚本家デビューを果たす。1950年(昭和25年)、今井正監督『また逢う日まで』の脚本を担当。主演の岡田英次と久我美子によるガラス越しのキスシーンが話題を呼んだ本作は大ヒットとなり、水木の出世作となる。その後、『ひめゆりの塔』(今井正監督)、『浮雲』(成瀬巳喜男監督)、『おとうと』(市川崑監督)など、巨匠と呼ばれる映画監督と次々にタッグを組み、日本映画黄金期に多くのヒット作を世に送り出した。1953年(昭和28年)、第1回菊池寛賞を受賞。1957年(昭和32年)、日本テレビ系『早春』でテレビドラマの脚本を初担当。1959年(昭和34年)、NHKラジオドラマ『北限の海女』で芸術祭賞を受賞。1960年(昭和35年)、前年に公開された映画『キクとイサム』で日本映画特別賞、毎日新聞社第14回映画コンクール脚本賞、ブルーリボン脚本賞を受賞。同年、日本放送協会・放送文化賞、文部大臣賞を受賞。1965年(昭和40年)、映画『甘い汗』と『怪談』でキネマ旬報脚本賞を受賞。同年、『豆菊はんと雛菊はん』でNHKテレビドラマ脚本賞を受賞。その後、NHK大河ドラマ『竜馬がゆく』(1968・昭和43年)、TBSドラマ『甘柿しぶ柿つるし柿』(1969・昭和44年)とテレビドラマにおいてもヒット作を連発。1975年(昭和50年)、前年のCBCドラマ『灯の橋』で芸術祭テレビ部門ドラマの部で芸術祭大賞を受賞。1981年(昭和56年)、紫綬褒章を受章。1985年(昭和60年)、日本シナリオ作家協会のシナリオ功労賞を受賞。この頃から次第に執筆活動から遠のくようになる。1987年(昭和62年)、勲四等宝冠章受章。平成に入ると体調を崩しがちになり、1993年(平成5年)には自宅を離れ療養生活に入る。1997年(平成9年)、後見人を専任し、土地・家屋、シナリオ原稿・書籍、著作権などを長年暮らした千葉県市川市に寄贈する「死因贈与契約」を締結。2003年(平成15年)4月8日、老衰のため市川市の病院で死去。享年92。


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田中澄江と並び、女性脚本家の草分け的存在だった水木洋子。彼女は一貫して人間の悲哀を描き続け、多くの名作を世に送り出した。戦争と平和、貧困と孤独、様々なテーマで世の不条理に喘ぐ女性の悲しみを描き続けた。その一方、『おかあさん』『婚期』『喜劇 にっぽんのお婆ちゃん』といったユーモラスな悲喜劇も多く書いており、特に挙げたこの3作品は私のオススメである。戦後の日本映画黄金時代を代表する脚本家といって過言ではない水木洋子の墓は、東京都台東区の海禅寺にある。墓には「高木家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「文雅院心量妙智大姉」
by oku-taka | 2017-09-09 01:40 | 映画・演劇関係者 | Comments(0)