2017年 08月 05日
山形勲(1915~1996)
山形 勲(やまがた いさお)
俳優
1915年(大正4年)~1996年(平成8年)
1915年(大正4年)、ヨーロッパ各国で軽業師をしていた山形巌の二男としてイギリス・ロンドンに生まれる。本名は、塙 勲。1917年(大正7年)、第一次大戦の勃発により一家揃って帰国し、東京市麻布区市兵衛町(現在の東京都港区六本木)に居を構える。小学校時代にチャンバラ映画に熱中したことから俳優を目指すようになり、1930年(昭和5年)に中学を中退して日本俳優学校に入学。1936年(昭和11年)には東宝劇団に入り、大部屋俳優として役者活動をスタートした。1942年(昭和17年)、佐々木隆、鈴木光枝、山村聰らと劇団文化座を結成。『武蔵野』『おりき』『その人知らず』といった舞台に出演した後、1949年(昭和24年)東宝映画『斬られの仙太』でスクリーンデビュー。1953年(昭和28年)、劇団文化座を脱退。同年、衣笠貞之助監督作品の『地獄門』に出演し、作品の世界的ヒットにより知名度が高まる。その後、1955年(昭和30年)の成瀬巳喜男監督作品『浮雲』や、溝口健二監督作品『楊貴妃』などで演じた悪どい演技が注目されるようになる。特に、東映時代劇の『旗本退屈男』シリーズや『大菩薩峠』3部作などで見せた悪役が高く評価され、品のある悪役として東映時代劇に多数出演した。昭和40年代に入ると、時代劇のほか現代劇でも活躍し、大学教授・会社重役・高級官僚といった重厚感漂う役柄を多く演じ、中でも1976年(昭和51年)公開の映画『不毛地帯』では、仲代達矢演じる主人公・壱岐正を招き入れる近畿商事の大門一三社長を好演した。テレビドラマにも多く出演し、『剣客商売』での加藤剛演じる剣客・秋山大治郎の父親の秋山小兵衛役、『水戸黄門』での柳沢吉保役は今なお時代劇ファンから高い評価を受けている。1988年(昭和63年)、勲四等瑞宝章を受章。1995年(平成7年)、体調不良の中でNHKドラマ『されどわが愛』に出演。広島・韓国など各地でのロケに参加したあと入院し、闘病生活に入るが、1996年(平成8年)6月28日、若い頃より患っていた肺結核のため、東京都府中市の東京都立府中病院で死去。享年80。
含みのある顔立ちに野太い台詞回しで重厚感漂う役を多く演じた俳優・山形勲。名悪役と評された山形だが、他の悪役俳優にはない圧倒的な貫禄と気品さが彼の持ち味だった。だからこそ、大名や大身の武家、資産家に政治家といった役がよく似合ったのだと思う。同じようなポジションの山村聰とは終生ライバル関係にあり、山形が「いつでも勝負するから四つに組む役を取って来なさい」とマネージャーに言ったというエピソードが残されている。今やどちらも亡き人となってしまった。どっしりとした渋い役者・山形勲の墓は、東京都豊島区の玄静院にある。墓には「塙家之墓」とあり、左側に墓誌が建つ。そこそこの敷地に墓石が密集していた為、見つけ出すのに時間がかかってしまったが、真ん中あたりに名優の眠る墓がひっそりと建っていた。戒名は「一乗院法勲日芸居士」。