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メイ牛山(1911~2007)

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メイ 牛山(めい うしやま)

美容研究家
1911年(明治44年)~2007年(平成19年)


1911年(明治44年)、山口県防府市に生まれる。本名は、牛山 マサ子。幼い頃からオシャレ好きで、小学校の学芸会では薔薇の花をつけた袴を作るなど、持ち前の器用さで色々なものを創作した。防府市技芸女学校を卒業の1929年(昭和4年)、当時流行の最先端である東京で思いっきりオシャレを楽しみたいという理由で単身上京。1932年(昭和7年)、銀座にあった美容講習所に内弟子として入所し、初代メイ牛山(牛山春子)に師事。入所した当初は、勢いあまって髪をバッサリ切ったり、パーマ機で髪を焦がしたりといった失敗を重ねるも、持ち前のハングリー精神でそれを最流行としてしまい、やがて話題の美容師として新聞や雑誌にヘアスタイルを発表し始める。1935年(昭和10年)、初代メイ牛山の後を受け、ハリウッド美容室の代表に就任。このとき、名前を“ジュン牛山”とする。1937年(昭和12年)には、日本で初めてマスカラを販売した。1939年(昭和14年)、ハリウッド美容室の経営者で、ハリウッド化粧品の創業者でもある牛山清人と結婚。以来、メイ牛山の名前で欧米の最新技術を取り入れながら日本の美容界を作り上げる一翼を担う。戦後はアメリカやフランスなどで美容技術を学び、スター女優を彩るヘアーカットやメイクアップの技術を日本に持ち帰った。特にニューヨークでは『ローマの休日』等を担当したエディ・センズにメイクを、レオン・アメンドラーにヘアを師事している。帰国後の1951年(昭和26年)、主に化粧品を取り扱う「ハリウッド株式会社」を設立。日本で初めて酵素の働きを化粧品に取り入れた商品の開発などを行い、中でも「酵素パック」はハリウッド化粧品の代名詞ともいれるロングセラー製品となった。同年、銀座にハリウッドビューティーサロンをオープン。1958年(昭和33年)頃から健康食品の開発と提唱をはじめ、これがライフワークとなる。日本の気候風土に合わせた美容法や食事法が大切であるという「四季の美容法」や、皮膚、身体、心の汚れを排泄することが美容の根本という独自の「三大排泄美容 - SBM理論」を提唱し、化粧だけでなく、体の中、心の中から美しくある事が、本物の美しさである事を日本で最初に提唱した。1980年(昭和55年)、ハリウッド美容専門学校(現在のハリウッドビューティ専門学校)を開校。この頃から、そのチャーミングな個性と、トレードマークであるお団子ヘアスタイルがお茶の間でも人気となり、「笑っていいとも」や「ライオンのいただきます」といったバラエティー番組で活躍。著作も多数発表した。2001年(平成13年)、勲五等瑞宝章を受章。2003年(平成15年)には、長年住んだ六本木ヒルズを、森ビル、テレビ朝日と3社合同で開発し、ヒルズブームを起こした。晩年もハリウッド美容専門学校で指導に当たるなど、90歳を超えてなお第一線で活躍した。2007年(平成19年)12月13日、心不全のため死去。享年96。


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実は意外と知られていないのだが、「メイ牛山」という女性は二人いる。牛山清人と共にハリウッド化粧品を創業し、電気パーマを日本に初めて紹介したのが初代メイ牛山こと牛山春子。その弟子で戦後の日本美容界を盛り上げたのが、よく知られた存在のほうのメイ牛山である。その個性的なキャラクターはお茶の間にも愛され、多くのテレビ番組に出演した。山野愛子とともに日本美容界の巨頭として君臨し続けたメイ牛山の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓には「牛山」とあり、背面に墓誌が刻まれている。右横には、彼女の口癖であった「女はいつも楽しく美しく」と彫られた碑が建つ。戒名は「美妙院殿正雲智光清大姉」。後妻であった為になのだろうか、夫の牛山清人とは別々の墓となっている。


by oku-taka | 2017-07-29 17:07 | 衣・食・住 関係者 | Comments(0)