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大原麗子(1946~2009)

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大原 麗子(おおはら れいこ)

女優
1946年(昭和21年)~2009年(平成21年)


1946年(昭和21年)、東京都文京区千石に生まれる。父は和菓子屋「田月堂」を経営していたが、大原が8歳のときに父の浮気が原因で両親は離婚。母親に引き取られ、東京・赤羽にある母の実家に引っ越す。母子家庭となって生活は豊かでなくなったが、母は大原に愛情を注ぎ、大原をバレエ教室に通わせた。しかし、同居していた母の姉と反りが合わず、潤徳女子中学校在学中にはこの叔母と衝突を繰り返し、居場所を失った大原は六本木に繰り出すようになった。その後、裕福な家庭の子女で結成されていた「六本木野獣会」に参加。北豊島高等学校卒業後、大野伴睦の長男で東京放映の社長である大野直にスカウトされ、芸能界入りを果たす。1964年(昭和39年)、NHKの新人オーディションに合格し、テレビドラマ『幸福試験』の出演でデビュー。翌年には東映に入社し、佐久間良子主演『孤独の賭け』で初めて本格的な映画に出演。その後、高倉健の『網走番外地』シリーズ、千葉真一主演作品での助演、梅宮辰夫の『夜の青春』シリーズをはじめ、数々の映画に出演した。1971年(昭和46年)、東映との契約切れを機に渡辺プロダクションへ移籍。以降はテレビドラマを中心に活動し、1973年(昭和48年)のNTVドラマ『雑居時代』で人気を博す。同年、俳優の渡瀬恒彦と結婚。1975年(昭和50年)、神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症し、生涯にわたり苦しめられる。1978年(昭和53年)、渡瀬恒彦と離婚。同年、映画『男はつらいよ 噂の寅次郎』のヒロインに抜擢。以降、TBSドラマ『たとえば、愛』(1979年・昭和54年)、 『離婚ともだち』(1980年・昭和55年)など、しっとりとした日本的美人像を多く演じ、テレビドラマに次々と主演した。1980年(昭和55年)、歌手の森進一と再婚。同年、映画監督の市川崑が演出を担当し、愛する旦那に振り回されつつも健気に尽くす女性を演じたサントリーレッドのCMがスタートし、「すこし愛して、ながーく愛して」のキャッチフレーズとともに大評判となった。この頃には、映画にも積極的に出演し、東映『セカンド・ラブ』の主演(1983年・昭和58年)、2度目のマドンナ役となった『男はつらいよ 寅次郎真実一路』(1984年・昭和59年)など順風満帆な活動を見せ、東宝『おはん』では石坂浩二演じる幸吉を狂わす魔性の女を演じ、第8回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞した。1984年(昭和59年)、森進一と離婚。離婚会見で述べた「家庭に男が2人いた」は話題を呼んだ。1989年(平成元年)、脚本家・橋田壽賀子に演技力を買われ、NHK大河ドラマ『春日局』に主演。大河ドラマ歴代3位となる平均視聴率32.4%を叩きだし、最高視聴率は39.4%を記録した。1992年(平成4年)、NHKドラマ『チロルの挽歌』で主演・高倉健の妻役を演じ、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。平成に入ると、『ダウンタウンDX』や『SMAP×SMAP』といったバラエティー番組にゲストとして出演するようになるが、演技のほうでは、地位が上がるにつれ映画やドラマのスタッフに対して脚本と演出の注文を付けるようになり、それが年を重ねるごとにエスカレートしてしまったことから、出演オファーが減少していった。1999年(平成7年)、左目の二重まぶたの整形手術をするも手術は失敗し、まぶたが腫れ上がってしまったため、主演が決まっていた映画『天城越え』を降板。その後、再手術をして可能な限り元に戻したが、自宅に引きこもるようになってしまった。その後、ギラン・バレー症候群が再発したこともあり、芸能活動を休止した。現場復帰に向けて、自宅でリハビリと筋力トレーニングに励んでいたが、母親の介護や自身の病気療養もあって公の場に姿を見せる機会はめっきり減っていった。追い打ちをかけるように、ギラン・バレー症候群の主治医が亡くなり、大原はうつ病を発症してしまう。2008年(平成20年)11月には、足元がふらついて自宅で転倒し、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った。2009年(平成21年)8月6日、連絡が取れないことを不審に思った実弟と、弟からの通報を受けた警察らによって、自宅で死亡しているのが発見された。自宅2階の寝室の床の上で仰向けに倒れており、携帯電話を取ろうとして手を伸ばした状態だった。携帯電話までの距離はわずか15センチで、もしこの時携帯電話に手が届いて電話をかけていれば救助されて亡くならずに済んだ可能性もあると指摘されている。行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。 享年64。


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近年、耳にすることが多くなった「孤独死」というワード。華やかな芸能界で生きている人には無縁なことのように思っていたが、そんなことはないというのが大原麗子の訃報で思い知らされた。数多くの作品で主役を演じ、タレント好感度ランクでは14回も1位に輝いた女優に似つかわしくない最期。それだけに、世間の衝撃は大きかった。没後、関係者たちの証言によって彼女の真の姿が明らかにされたが、耳をふさぎたくなる思いでいっぱいだった。「愛らしい女優」というイメージを守り通して逝った彼女に、何の恨みがあって真相を暴露するのだろうか。「死人に口なし」とはよく言ったものだが、もうそっとしておいてあげてほしいというのが正直な感想である。彼女の墓は、東京都世田谷区の妙壽寺にある。墓には「大原家之墓」とあり、左横に墓誌が建つ。両方に大原麗子のブロマイドが飾られている。戒名は「華麗院妙舞大姉」。マスコミで報じられた戒名は「花香院麗風妙舞大姉」であったが、その後変更されたのだろうか。



by oku-taka | 2017-06-04 16:55 | 俳優・女優 | Comments(0)