2017年 06月 04日
秋山庄太郎(1920~2003)

秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう)
写真家
1920年(大正9年)~2003年(平成15年)
1920年(大正9年)、東京都東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)に生まれる。旧制東京府立第八中学校(現在の東京都立小山台高等学校)在学中、好きな女の子の顔をいつも眺めていたかったことからカメラに興味を持つようになり、小型カメラ「パーレット」を買ってもらう。しかし、使い方が難しく、ぶつけてタスキを曲げてしまいピントが出なくなってしまう。次に「バルディ」を入手し、修学旅行で訪れた奈良の若草山でススキが逆光に光るのを撮影し、想像以上の良い写真ができたことから写真にのめり込む。1938年(昭和13年)、第一早稲田高等学院に入学。写真部に入ったものの、部員が四つ切りに伸ばしているのを見て、それまでキャビネまでしか伸ばしていなかった秋山は競争にならず、嫌気がさして酒浸りになってしまう。その後、吐血して父親から勘当されそうになるが、以前から欲しいと思っていた「ローライコード」を父親に買ってもらったことや、仲の良い級友が撮影した写真が『写真文化』に掲載されたことで刺激を受け、本格的に努力するようになる。1943年(昭和18年)、早稲田大学商学部を卒業し、東京田辺製薬に入社。大学卒業の記念として処女作品集『翳』を自費出版で発表。同年、陸軍に召集され、約2年間にわたり中国の戦地に赴く。1946年(昭和21年)、6500円で「ローライフレックス」を購入し、東京都京橋区銀座(現在の中央区銀座)で稲村隆正らと写真館「秋山写真工房」を開設。本格的に写真家の世界へ飛び込んだが客足が伸びず、1947年(昭和22年)に借金が嵩んだことから「秋山写真工房」は解散。林忠彦の推薦で近代映画社写真部に入社し、原節子の専属カメラマンとして活動。映画の撮影所で照明技師のライティングを見るなどして、女性写真を撮る基礎を培う。同年、林・石津良介らと写真集団「銀龍社」を結成。1950年(昭和25年)、日本写真家協会の創立会員となる。1951年(昭和26年)、近代映画社を退社し、フリーカメラマンとなる。また、林忠彦と「二人展」(東京銀座・松島ギャラリー)を開き、注目を集めた。1953年(昭和28年)、林忠彦・早田雄二・大竹省二と共に二科会写真部の創立会員となる。1955年(昭和30年)、東京都港区麻布今井町(現在の港区六本木)にスタジオを構える。吉永小百合や浅丘ルリ子などの女優を中心に撮影を行い、女性写真の写真家として地位を確立した。1958年(昭和33年)、日本広告写真家協会創立会員となる。1959年(昭和34年)、雑誌『週刊文春』の表紙連載を開始。1960年(昭和35年)、パリへ4ヶ月間の外遊に赴く。この旅行が抽象や花などを撮影ジャンルに加えるきっかけとなる。1961年(昭和41年)、日本広告写真家協会展ADC賞を受賞。1963年(昭和38年)、雑誌『週刊サンケイ』の表紙連載を開始。1964年(昭和39年)、東京・西麻布にスタジオを移転。同年、雑誌『週刊現代』の表紙連載を開始した。1966年(昭和41年) 、日本写真専門学院(現在の日本写真芸術専門学校)の講師となる。この頃より、後のライフワークともなる花の写真を手がけるようになった。1970年(昭和45年)、初の花の写真集『花・女』を発表。同年には『週刊ポスト』の表紙連載を始め、書店の店頭に並ぶ雑誌のほとんどが秋山の撮った女性の写真という現象が起こり、「表紙写真の秋山」「女性写真の秋山」として広く知られるようになる。1971年(昭和46年)、株式会社秋山写真工房を設立し、初代社長に就任。また、日本広告写真家協会会長に就任した。1972年(昭和47年)、雑誌『週刊小説』に「作家の風貌」の連載を開始。1974年(昭和49年)、講談社出版文化賞を受賞。1975年(昭和50年)、雑誌『月刊美術』に「現代日本の作家たち」の連載を開始。1980年(昭和55年)、写真愛好家団体を高橋扶臣男らと結成し、会長に就任。1986年(昭和61年)、紫綬褒章を受章。1993年(平成5年)、勲四等旭日小綬章を受章。2003年(平成15年)1月16日 、林忠彦賞の審査中に心筋梗塞のため倒れ、東京都中央区の病院に搬送されたが、19時56分に死去。享年82。


「女性専科・秋山」の異名をとり、戦後の写真界を牽引してきた秋山庄太郎。最盛期の1970年代には10誌の連載を抱えていた超売れっ子であり、その写真は多くの大衆の支持を集めた。彼のすごいところは、その強面の顔からは想像できないほど女優を撮る技術が優れているところ。飾り気もなく、エロスな雰囲気も漂わせない。素に近い表情であるのに、撮影された全ての女優は美しく綺麗に見える。ポージングや特有の世界観を作らずして女優を華美に見せるこの技術は、秋山庄太郎にしかできない技だろう。そんなカリスマ写真家・秋山庄太郎の墓は、東京都町田市の町田いずみ浄苑フォレストパークにある。墓には生涯にわたり愛した「花」の文字があり、裏に墓誌が刻む。戒名は「寫然院彩譽花庄寛居士」

