2017年 05月 28日
小池朝雄(1931~1985)
小池 朝雄(こいけ あさお)
俳優・声優
1931年(昭和6年)~1985年(昭和60年)
1931年(昭和6年)、東京都東京府豊多摩郡代々幡町(現在の東京都渋谷区)に生まれる。学生時代から演劇活動にのめり込み、東京都立青山高等学校在学中は演劇部のキャプテンとして活躍した。1950年(昭和25年)、文学座付属演劇研究所に入所。翌年、『崑崙山の人々』で初舞台を踏む。その後、『怒りをこめてふり返れ』『ジュリアス・シーザー』などに出演し、彫りの深い顔立ちと確かな演技力で地位を確立していく。1957年(昭和32年)、東宝映画『蜘蛛巣城』で映画初出演。翌年にはTBSドラマ『五重塔』に出演し、テレビ界にも進出した。1963年(昭和38年)、芥川比呂志、神山繁らと劇団に退団届を提出し、福田恆存が創立した劇団雲の創設に参画。『夏の夜の夢』『黄金の国』『野望と夏草』『どん底』などに出演したが、1975年(昭和50年)に劇団雲は分裂。芥川らと離れ、福田が新たに結成した劇団昴に参加し、中心俳優の一人として活躍した。一方で、映画やテレビにも名バイプレイヤーとして活躍。特に日活や東映のやくざ映画ではアクの強さを存分に生かして性格俳優の本領を見せた。後年になると、東映映画『日本暗殺秘録』での理不尽な融資打ち切りに遭う温厚な経営者や、テレビドラマ『野性の証明』の沈着冷静に捜査する刑事など、善人役を演じることも多くなっていった。また、声優としては、ピーター・フォーク、ジーン・ハックマンなどを持役とし、特に『刑事コロンボ』のコロンボ役は小池の当たり役になった。アニメ作品にも意欲的に挑戦し、『長靴をはいた猫』の魔王ルシファ、『どうぶつ宝島』のシルバー船長などを務めた。1980年頃から体調を崩すようになり、1984年(昭和59年)公開の東映映画『北の螢』撮影の際は、すでに入院中であったにもかかわらず病院を抜け出して撮影に参加した。1985年(昭和60年)3月23日、肺不全のため東京都中央区築地の国立がんセンターで死去。享年54。
大きな目と独特な風貌で狂人役や小悪党を多くこなした俳優・小池朝雄。『仁義なき戦い』シリーズ、『日本の首領』シリーズ、『陽暉楼』といった東映映画に欠かせぬ名優であり、ヤクザ映画の黄金期を支えた一人であるといっても過言ではない。特に、1969年(昭和44年)公開された東映映画『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』の小平義雄役はあまりの怪演っぷりで、今なお映画ファンの間で語り草となっている。その一方で、「うちのカミさんがね」で知られる『刑事コロンボ』シリーズでも人気を集め、没して30年経った今でも根強い人気を持っている。小池朝雄の魅力は、やはりあの「声」に尽きると思う。ソフトでどこか甘さ漂う低音ボイスは、聞いていて非常に心地良い。その最高傑作といえるのが、1965年(昭和40年)に発売されたLPアルバム『歌ひとすじ35年・東海林太郎傑作集』に収録されている「上海の街角で」の台詞パートだと個人的に思っている。彼の声が洒落たサウンドと見事にマッチして何とも言えぬ味わいを出しており、一日に何度も聴いてしまうほど酔いしれている。これほどまでに魅力的な声を持ちながら54歳という若さで旅立った小池朝雄の墓は、東京都世田谷区の専光寺にある。墓には「小池家代々之菩提」とある。墓誌はない。