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吉田直哉(1931~2008)

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吉田 直哉(よしだ なおや)

テレビディレクター
1931年(昭和6年)~2008年(平成20年)

1931年(昭和6年)、病理学者・吉田富三の長男として東京都東京市小石川区に生まれる。旧制二高を経て東京大学文学部西洋哲学科に進学。在学中は学生新聞の記者として活動する。1953年(昭和28年)、大学を卒業し、NHKにディレクターとして入局。ラジオ局社会部社会課に配属された後、1957年(昭和32年)に教育局社会課に異動。 同年よりスタートしたテレビドキュメンタリー『日本の素顔』の担当となり、第2作の「日本人と次郎長」がヤクザの世界をリアルに描き、衝撃を与える。1959年(昭和34年)、江藤淳が主宰した同年代の若手作家が集うシンポジウムに参加。その後、雑誌『三田文学』に「不完全燃焼を忌む」を発表し、石原慎太郎、大江健三郎、浅利慶太らの反発を引き起こす。また、『日本の素顔』シリーズをめぐって映画監督の羽仁進と雑誌『中央公論』誌上で論争を展開するなど、活発な行動を繰り広げる。1961年(昭和36年)、教育局テレビ教養部に異動。1963年(昭和38年)、オリンピックを前に変貌する東京で母親を捜す女性を描いた『TOKYO』でイタリア賞に参加。この作品を機に、ドキュメンタリーとドラマを融合させた作品づくりを目指し、芸能局第1文芸部に転じる。1965年(昭和40年)、大河ドラマ『太閤記』の演出を担当。冒頭シーンで新幹線の走るシーンを放送するなど、ドラマ内に舞台地の現在の様子を注釈的に挿入し、「社会科ドラマ」の異名を取る。その後も、『源義経』(1966年・昭和41年)、『樅ノ木は残った』(1970年・昭和45年)といった大河ドラマの演出を担当し、いずれもヒットに導く。1967年(昭和42年)、海外研究員としてイタリアに派遣。翌年、ドキュメンタリー『海外取材 明治百年』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1973年(昭和48年)、NHKスペシャル番組部に所属となり、再びドキュメンタリーに転じる。同年、初のエッセー集『テレビ、その余白の思想』を発表し、作家としても活動をはじめた。1975年(昭和50年)、『NHK放送開始50周年記念 未来への遺産』で放送文化基金賞本賞を受賞。1978年(昭和53年)、『ブラジル移民70周年記念 コロニアの歌声』でテレビ大賞を受賞。1979年(昭和54年)、『ポロロッカ・アマゾンの大逆流』で毎日芸術賞を受賞。1984年(昭和59年)、CGキャラクター“ホロン博士”がキャスターを務めたNHK特集『21世紀は警告する』でギャラクシー賞大賞と、テレビ界で初となる日本文学大賞を受賞。1987年(昭和62年)、松本清張の小説『暗い血の旋舞』の執筆と同時進行で制作し、主人公役とリポーターに吉永小百合を迎えたNHK特集『ミツコ 二つの世紀末』の演出を担当し、新しい形の番組づくりを実践。同年には、小説『ジョナリアの噂』が第98回芥川賞候補になった。1989年(平成元年)、NHK特集『太郎の国の物語』を制作。これを卒業制作とし、翌年に特別主幹(専務理事待遇)でNHKを定年退職。退職後は、武蔵野美術大学映像学科の教授に就任した。1994年(平成6年)、食道ガンを発症し、長時間に及ぶ摘出手術や声を失うなどの壮絶な闘病生活を送る。2008年(平成20年)9月30日、肺炎のため死去。享年77。


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テレビ草創期から活躍し、映像表現の可能性を開拓しつづけた吉田直哉。NHKのディレクターというイチ放送局のスタッフだった彼が、あらゆる手法を駆使して新しい映像表現に挑戦し、テレビ業界全体に大きな功績を残した。その背景には、評論家の大宅壮一が言った「一億総白痴化」への反発があったという。1990年(平成2年)の退職会見において、吉田は「テレビというものが、いかに大変な役割を将来担うかということを想像できないで、ひとつの現象でなんか気の効いたことを評論家が言ったという反発であります。今に見てろ、テレビでどんなに幅の広い奥行きのある高級な表現ができるかということを思い知らせてやる、という思いがありました。(中略)しかし、もしかすると大宅さんが言ったことは本当だったんじゃないか。『一億総白痴化』というのは当たっていたんじゃないか。それは、つまりテレビという素晴らしい太古からの夢の装置をまだうまく使いこなしていないという思いが少しあるからです」と語っている。テレビの最前線で活躍し、テレビに夢を託した男の墓は、東京都文京区の吉祥寺にある。墓には「吉田家之墓」とあり、右側面に墓誌が刻む。戒名は「秀徳院文苑直心居士」。


by oku-taka | 2017-05-21 00:43 | テレビ・ラジオ関係者 | Comments(0)