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井沢八郎(1937~2007)

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井沢 八郎(いざわ はちろう)

歌手
1937年(昭和12年)~2007年(平成19年)


1937年(昭和12年)、青森県弘前市に生まれる。本名は、工藤 金一。中学生の頃から歌唱力に定評があり、中学2年の時には地元のキャバレーで歌手としてステージに立っていた。卒業後、歌手を目指して上京。バンドマンとしてベースを弾きながら、作曲家の大沢浄二に師事。1963年(昭和38年)、東芝音楽工業より「男船」でレコードデビューを果たす。翌年、「あゝ上野駅」が当時“金の卵”と呼ばれた集団就職の若者たちに愛唱されて大ヒット。伸びやかでハイトーンを特徴とする歌声で、人気歌手の仲間入りを果たした。その後、「男傘」「北海の満月」とヒットを飛ばし、1965年(昭和40年)には「NHK紅白歌合戦」にも初出場した。私生活では、料亭経営者の令嬢と結婚。一男一女を授かり、長女は1983年(昭和58年)に工藤夕貴の名で芸能界デビューをした。しかし、娘のデビューと同じ年に交通違反の不出頭、1985年(昭和60年)にデートクラブで16歳の女性を買春しての淫行、結婚前に生まれた隠し子の発覚などスキャンダルが相次ぎ、芸能活動ができなくなってしまう。こうしたことから夫人と不和になっていき、1989年(平成元年)に離婚。その後、縁があり交際を続けてきた15歳年下の声優・青羽美代子と1994年(平成6年)に再婚した。晩年も精力的に歌手活動を続けてきたが、2005年(平成17年)秋頃に体調不良を訴え入院。検査の結果、食道がんが見つかり手術を受けるが、翌年5月にはがんがリンパ節に転移。同年秋に再入院し、治療に努めたものの、2007年(平成19年)1月17日午後11時18分、食道癌のため上野の永寿総合病院にて死去。享年69。


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昭和39年、世は高度成長期で東海道新幹線の開通や東京オリンピックの開催などで湧きかえっていた。そんな当時の日本を支えていたのが、地方から集団就職で都会にやって来た若者たち。「金の卵」と持て囃された若者たちは、希望と不安を抱えながら長距離列車に揺られ、東京の地に足を踏み入れた。中でも、上野駅は東北から上京するときの玄関であり、「集団就職」や「出稼ぎ」の象徴の駅でもあった。この年、井沢八郎が歌った『あゝ上野駅』が発売され、以来、東北出身者を中心に多くの人に愛され続け、人生の応援歌として人々に元気を与えた。井沢八郎は亡くなる直前までテレビに出演し、当時と変わらぬハイトーンの美声で『あゝ上野駅』を歌い続けた。69年というやや短い生涯を閉じた井沢八郎の墓は、東京都八王子市の八王子道玄霊園にある。墓には「Global Family 生も歓喜 死も歓喜」とあり、右側に墓誌が建つ。


by oku-taka | 2017-05-13 22:37 | 音楽家 | Comments(0)