2017年 05月 13日
舟越保武(1912~2002)

舟越 保武(ふなこし やすたけ)
彫刻家
1912年(大正元年)~2002年(平成14年)
<1912年(大正元年)、岩手県二戸郡一戸町小鳥谷に生まれる。県立盛岡中学校(現在の岩手県立盛岡第一高等学校)在学中、兄から貰った高村光太郎訳の「ロダンの言葉」を読んで感銘を受け、彫刻家を志す。1932年(昭和7年)、東京美術学校(後の東京藝術大学)師範科を受験するも不合格となり、翌年も同学校同科を受験するが不合格。1934年、同学校の彫刻科を受験し合格。同級生に佐藤忠良、昆野恒、井出則雄らがおり、特に佐藤とは終生の友情を培うことになり、二人は戦後の日本彫刻界を牽引していく。1937年(昭和12年)、第12回国画会展に「習作」「首」を出品し、褒状を受ける。1939年(昭和14年)、東京美術学校彫刻科を卒業。本郷新、山内壮夫らと新制作派協会彫刻部創立に参加し、会員となる。1940年(昭和15年)頃から石彫に取り組み始め、参考書や石材店の親方から見よう見まねで学んで制作した数々の作品が注目される。1950年(昭和25年)、長男の一馬が生まれて間もなく急死したのを機に、洗礼を受けてカトリックに帰依。この頃を境に、キリスト教信仰やキリシタンの受難を題材とした制作が増える。1962年(昭和37年)、 「長崎26殉教者記念像」で高村光太郎賞を受賞。1972年(昭和47年)、島原の乱に着想を得た「原の城」を発表し、中原悌二郎賞を受賞。翌年には、パウロ6世より大聖グレゴリオ騎士団長勲章を授けられた。1977年(昭和52年)、 「道東の四季-春-」で長谷川仁記念賞を受賞。1978年(昭和53年)、芸術選奨文部大臣賞を受賞。日本を代表する具象彫刻家として活躍する一方、1983年(昭和58年)にはエッセイ『巨岩と花びら』を執筆し、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。1984年(昭和59年)、勲四等旭日小綬章を受章。1987年(昭和62年)、脳梗塞で倒れ、右半身が不自由になってしまう。その後、リハビリを開始し、死の直前まで左手で創作を続けた。2002年(平成14年)2月5日、多臓器不全で死去。享年89。


盟友・佐藤忠良とともに戦後の彫刻界を牽引し、キリスト教にまつわる作品を数多く残した舟越保武。美しさの中にもどこか力強さが感じられる彼の作品は、今なお高い評価を受けている。彼の後を追い、二男の桂と三男の直木は彫刻家となった。父との確執、長男の死、脳梗塞との闘いなど、幾多の困難を乗り越え作品を生み続けた巨人の墓は、東京都府中市のカトリック府中墓地にある。十字架を模った墓には「R.I.P FUNAKOSHI」とあり、左横に墓誌が建つ。

