人気ブログランキング | 話題のタグを見る

並木路子(1921~2001)

並木路子(1921~2001)_f0368298_02214369.jpg

並木 路子(なみき みちこ)

歌手
1921年(大正10年)~2001年(平成13年)


1921年(大正10年)、東京都台東区浅草に生まれる。本名は、南郷(旧姓:小林)庸子。生後まもなく台湾製糖の工場長を務めていた父の関係で台湾へ渡るが、5歳のときに帰国。幼少期から歌って踊ることが好きだったことから、1936年(昭和11年)に 松竹少女歌劇学校に入学。1937年(昭和12年) 、「並木路子」の芸名で、浅草国際劇場落成杮落し公演『第8回東京踊り』のオペレッタ『グリーンアルバム』で初舞台を踏む。その後、三オクターブの音域を出すことができる美声と巧みな踊りが指導者の間で評判となり、関係者の注目を集めるようになる。1942年(昭和17年)には、コロムビアレコードから「世界隣組」でレコードデビューを果たす。晴れやかな成功の一方で、1945年(昭和20年)の東京大空襲では母親を亡くし、彼女自身も左目を痛め、後遺症となる。また、次兄と父の乗艦していた船がアメリカ軍の潜水艦に撃沈され二人は死亡、初恋の相手も学徒出陣による特攻隊出撃で亡くしている。終戦後、戦後第1号の映画となった 松竹映画「そよかぜ」の主演に抜擢。挿入歌として劇中で歌った「リンゴの唄」が話題を呼び、翌年にレコード化されると、発売3ヵ月で7万枚を売る爆発的なヒットを記録し、戦後を代表する一曲となった。1946年(昭和21年)、松竹歌劇団を退団し、流行歌手に転じる。1955年(昭和30年)、 東宝宣伝プロデューサーの南郷隼人と結婚。後年には、渋谷・道玄坂でピアノ・バー「ブルー・スポット」を開店。歌手活動においても、二葉あき子・池真理子・安藤まり子・胡美芳らと「コロムビア五人会」を結成させるなど精力的に活動していたが、1999年(平成11年)に夫と死別以後は体調を崩しがちになっていく。同年、勲四等瑞宝章を受章。2001年(平成13年) 4月7日、関係者が自宅を訪れ呼び鈴を押しても応答がなかったことから、近所に住む長男が駆けつけたところ、浴室でぐったりした並木を発見。すぐさま病院に搬送されたが、心筋梗塞のため急死した。享年79。


並木路子(1921~2001)_f0368298_01405884.jpg

並木路子(1921~2001)_f0368298_01410024.jpg

「青い山脈」と並ぶ戦後の歌謡界を代表する「リンゴの唄」。爽やかなサトウハチローの歌詞と、どこか哀愁さを感じさせる万城目正のメロディーを、持ち前の冴え渡る美声で見事に名曲へと昇華させたのが並木路子である。この曲以外にも、「可愛いスイトピー」や「ペンギン鳥の夢」といったヒットがあるのだが、どうにも「リンゴの唄」の存在が大きすぎて霞んでしまうのが残念である。亡くなる直前まで「リンゴの唄」を通し、国民に希望を与え続けた並木路子のお墓は、東京都墨田区の華嚴寺にある。墓には「南郷家之墓」とあり、右側面に墓誌が彫られている。戒名は「唱譽春月紅庸大姉」。

by oku-taka | 2017-04-30 02:25 | 音楽家 | Comments(0)