人気ブログランキング | 話題のタグを見る

宮尾すすむ(1934~2011)

宮尾すすむ(1934~2011)_f0368298_01354208.jpg

宮尾 すすむ(みやお すすむ)

タレント
1934年(昭和9年)~2011年(平成23年)


1934年(昭和9年)、旧満州(現在の中国東北部)で生まれる。本名は、山口進。敗戦後は鹿児島県阿久根市へ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす。鹿児島県立阿久根高等学校卒業後、川内市(現在の薩摩川内市)で洋服店を経営していたが、事業に失敗し倒産。その後、上京し、1969年(昭和44年)に新聞記事で見かけた漫談家の宮尾たか志の弟子となる。森進一のショーなどで司会などを務めた後、タレントとしてテレビに進出し、バラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。1976年(昭和51年)、フジテレビ系『スターどっきり(秘)報告』にレポーターとして出演し、一気に名を馳せる。また、登場する際に顔の前で両手を交差させ、右手の平を右アゴに添えて「ハイッ!」と叫ぶ決めポーズでも一躍有名になる。1980年(昭和50年)には、 テレビ朝日系のクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』の男性チーム解答者としてレギュラー出演し、その博識ぶりと男性軍のムードメーカーとして彼の存在が広く知られるようになる。その後、テレビ朝日系『モーニングショー』内で「宮尾すすむのああ日本の社長」がスタートし、日本各地の会社の社長や実業家に密着リポートする姿が人気を集め、長寿シリーズとなった。しかし、1994年(平成6年)に妻が47歳で急逝。愛妻家として知られた宮尾は非常にショックを受け、その後は、腸捻転、腰痛、前立腺肥大の手術など体調を崩しがちになる。2007年(平成19年)には、東京都内で車を運転中に意識を失い、前の車に追突し、急性硬膜下血腫と診断された。それ以来、表舞台から遠ざかり、水頭症や肺炎の検査を受けていたが、2011年6月半ばに食道癌が見つかり、医師からは手の施しようがなく余命3ヶ月と宣告された。7月12日、肺炎のため東京都内の病院で死去。享年77。


宮尾すすむ(1934~2011)_f0368298_01381425.jpg

宮尾すすむ(1934~2011)_f0368298_01381512.jpg

大袈裟なリアクションと常に全力投球で体当たりレポートをする姿が印象的だった宮尾すすむ。右手をアゴに添え「ハイッ!」と叫ぶ決めポーズで、一時期はあちこちのバラエティー番組でよく見かけたものだった。それだけに、愛妻を亡くしてからのやつれっぷりは見ていてつらいものがあった。晩年はいろいろな病を発症したことから、全盛期の面影がないくらいに痩せ細り、テレビ界から静かにフェードアウトしていった。今は、東京都港区の高野山東京別院にある墓に妻と共に眠っている。墓には「山口家之墓」とあり、右横に墓誌が建てられている。戒名は「馨光院誠徳進修居士」。


by oku-taka | 2017-04-22 14:38 | タレント | Comments(0)