2017年 04月 08日
ロイ・ジェームス(1929~1982)
ロイ・ジェームス
タレント
1929年(昭和4年)~1982年(昭和52年)
1929年(昭和4年)、東京市下谷区(現在の東京都台東区)に生まれる。出生名は、ハンナン・サファ。出自は、ロシア革命後にロシアから日本へと亡命してきたカザン・タタール人であり、トルコ国籍を取得していた。旧制下谷区立竹町小学校(現在の台東区立平成小学校)、旧制郁文館工業学校(現在の郁文館グローバル高等学校)を経て、1950年(昭和25年)に明治大学商学部商学科を卒業。明大では野球部に在籍したが、秋山登・土井淳が入学してきたためレギュラーをあきらめた。また、柔拳(柔道とボクシングの異種格闘技戦を見せる興行)に、ボクサーとして「ストレート・ロイ」のリングネームで出場していたこともある。大学在学中の1953年(昭和28年)、タレントのE・H・エリックの紹介で、日劇ミュージックホールの舞台で芸能界入り。日本の芸能界における「外国人タレント」の草分け的存在となった。1955年(昭和25年)、成瀬巳喜男監督の映画『浮雲』に米兵役で出演したのを皮切りに、映画俳優や放送タレントとして活躍。べらんめえ調の達者な日本語を軽妙にこなし、数々のテレビやラジオなどで歯に衣着せぬ辛口トークを展開した。1971年(昭和46年)、日本国籍を取得し、六条祐道を戸籍名とする。1975年(昭和50年)、三島由紀夫の著書『鏡子の家』のモデルとなった湯浅あつ子と結婚し、姓を湯浅に改める。1982年(昭和57年)春頃、体調不良を理由に芸能活動を休業し、病気治療に専念。しかし、咽頭がんと肺炎により、12月29日に死去。享年53。
「日曜の朝のひととき、 皆さんいかがおすごしでしょうか。 不二家・歌謡ベストテン、司会のロイ・ジェームスです」… この番組をご存知の方は結構なご年配の方と思われる。外国人タレントらしからぬ歯切れの良いトークとべらんめえ口調で、テレビ・ラジオの番組司会者として一時代を築いた。いま芸能界で数多くいる外国人タレントの走りともいえるロイ・ジェームスの墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。彼の墓は外国人墓地の一角にあるムスリム(イスラム教徒)区画にある。数年前まで土葬風土盛の前に板のような墓が建っていたが、今は立派な墓が建立されている。