2017年 03月 19日
高峰三枝子(1918~1990)

高峰 三枝子(たかみね みえこ)
女優
1918年(大正7年)~1990年(平成2年)
1918年(大正7年)、高峰流筑前琵琶の宗家であった高峰筑風の娘として東京府芝区露月町に生まれる。本名は、鈴木三枝子。1936年(昭和11年)東洋英和女学院を卒業後に父・筑風が急死。一家を養うべく、周囲の勧めがあった映画界入りを決意。帝国劇場の専務の紹介で松竹に入社し、同年に公開された映画『母を尋ねて』で女優デビュー。理知的で気品のある美貌はたちまち人気を集め、1937年(昭和12年)には「松竹三羽烏」と呼ばれた当時の人気俳優、上原謙・佐野周二・佐分利信の映画『婚約三羽烏』に出演し、マドンナ役を務めた。同年、映画『浅草の灯』の中で披露した歌を口ずさむシーンが注目を集め、コロムビアがレコード歌手としてスカウト。翌年、映画『蛍の光』の主題歌「蛍の光」を桑野通子、高杉早苗らと吹き込み、レコードデビューを果たす。さらに、映画『宵待草』では、主題歌の「宵待草」をソロで歌い、これが大ヒット。これに気を良くした松竹とコロムビアは、1934年(昭和14年)に合同で音楽映画『純情二重奏』を製作、映画と並び霧島昇と歌った主題歌は大ヒットとなり、「歌う映画女優」と云われるようになる。映画における活躍も続き、同年には吉村公三郎監督による『暖流』で気取らない名門の令嬢役をこなし、女優としての知名度をさらに高めた。その後、『信子』『戸田家の兄妹』『男への条件』『高原の月』と主演映画はいずれもヒットとなり、松竹の看板スターとなっていった。一方、レコード歌手としても、1940年(昭和15年)に「湖畔の宿」、1942年(昭和17年)には「南の花嫁さん」と、映画とは無関係にヒットさせている。1946年(昭和21年)、8歳年上の実業家・鈴木健之と結婚。戦後は、レコード歌手としての実績を活かした音楽映画をシリーズ化した作品『懐しのブルース』『別れのタンゴ』『想い出のボレロ』『情熱のルムバ』が主題歌と共にヒット。その他にも、『待ちぼうけの女』では女優としての新しい一面に挑戦し、『今ひとたびの』『リラの花忘れじ』『自由学校』などがヒットし、第一線の女優として人気を誇った。1954年(昭和29年)、夫と離婚。その際の様々な心労から、1956年(昭和31年)に声帯が凹むという奇病に罹り、ステージで声が出なくなってしまったことから歌手活動を休業。女優として、『点と線』『好人好日』など松竹以外の大映や東映にも出演し、その存在感を示した。1966年(昭和41年)、11年振りに公の場で歌ったところ声が戻っていることがわかり、藤山一郎や服部良一らの勧めもあって東京12チャンネルのテレビ番組「歌謡百年」に出演。「高峰三枝子カムバック」と報道されるほどの大反響を呼び、1967年(昭和42年)に自身のヒット曲をステレオで再録音したLPを発売し、30万枚以上を売り上げた。1968年(昭和43年)、女優を起用する初めての試みであったフジテレビのワイドショー番組「3時のあなた」の司会に就任。高峰の落ち着いた司会ぶりと気さくな人柄が好評を博し、1973年(昭和48年)5月までの5年1ヶ月間司会を務めた。その間にマレーネ・ディートリヒのショウを見たことが動機となり、1969年(昭和44年)に日生劇場で「高峰三枝子リサイタル」を開催。1972年(昭和47年)には芸能生活35年を記念したリサイタル、1975年(昭和50年)、1983年(昭和58年)、1986年(昭和61年)には「全国縦断リサイタル」を行うなど、往年のファンの要望に応えた。1976年(昭和51年)には『犬神家の一族』(市川崑監督)での演技が高く評価され、1976年度ブルーリボン賞助演女優賞を受賞。1981年(昭和56年)からは、多くの映画で共演した上原謙とともに国鉄(現在のJR)の「フルムーン」のCMに出演し、夫役の上原と二人で温泉で入浴し豊満な乳房を露出するシーンが話題を呼んだ。1985年(昭和60年)、紫綬褒章を受章。同年10月30日の園遊会に招待された際は、昭和天皇からのお言葉に感激のあまり泣いてしまい、「本日はお招き本当にありがとうございました」と涙ながらに答え、その号泣ぶりが話題となった。平成時代になっても、新宿コマ劇場でリサイタルを開いたり、テレビのバラエティー番組に出演するなど、活発に活動していたが、1990年(平成2年)4月18日に田園調布の自宅で脳梗塞のため倒れ、世田谷区の日産厚生病院に緊急入院。意識は混濁し、左半身は完全に麻痺状態だった。その後一時は意識が回復し生命の危機を脱したという報道もあったが、入院から約1か月後の5月25日に容体が再び急変し、5月27日に死去。享年71。没後、勲四等宝冠章が追贈された。


今や女優も歌うことが当たり前の時代であるが、その先駆者として活躍したのが高峰三枝子だった。類い稀な美貌と澄んだ歌声で戦前・戦中・戦後の芸能界を駆け抜け、生涯にわたり大スターであり続けた。映画にしかり歌にしかり、彼女が出てくると画面が不思議と華やかに感じられた。まさに「ザ・スター」であった高峰三枝子の墓は、東京都港区の覚林寺にある。墓には「鈴木家之墓」とあり、右側面に墓誌が彫られている。戒名は「天苹院妙麗日峰大姉」。

