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石井好子(1922~2010)

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石井 好子(いしい よしこ)

シャンソン歌手
1922年(大正11年)~2010年(平成22年)

1922年(大正11年)、衆議院議長を務めた石井光次郎の娘として、東京都に生まれる。1928年(昭和3年)母の勧めによりピアノを習い始め、音楽に親しんだ生活を送るようになる。やがて声楽家への憧れが募るようになり、1939年(昭和14年)に東京音楽学校(現在の東京藝術大学)へ入学。主としてドイツ歌曲を学んでいたが、友人宅で聴いたリュシエンヌ・ホワイエの「聞かせてよ愛の言葉を」に強い衝撃を受け、シャンソンに目覚める。1942年(昭和17年)、第二次世界大戦のため学校を繰り上げ卒業となり、白百合高等女学校の音楽教師として就職。翌年、東洋精糖などの経営に携わった実業家・日向利兵衛の息子である日向正三と結婚した。1945年(昭和20年)、夫が出資して結成したジャズバンド「ニュー・パシフィック・オーケストラ」の歌手が見つからず、急遽石井がステージで歌うことになる。石井の歌声は大評判となり、そのまま同バンドの専属ジャズ歌手となる。その後、森山久やティーブ釜范からジャズを歌う際の発音を習い、バンド解散後は「渡辺弘とスターダスターズ」に参加。1947年(昭和22年)には、毎日ホールで初のリサイタルを開催した。しかし、金儲けを企む人々により貯金は底をつき、さらに夫がアルコール依存症に陥ったことから離婚。1950年(昭和25年)、離婚の傷を癒すべくサンフランシスコへ留学。このとき、アメリカ人のジャズシンガーであるジョセフィン・ベーカーと対面し、渡仏を薦められる。1951年(昭和26年)、パリへ渡り、シャンソンの名門店「パスドック」でデビュー。実力が認められ、モンマルトルのキャバレーや、ナチュリストのレビューの主役として1年間出演するなど、瞬く間にその名を知られるほどの名声を得る。1955年(昭和30年)、帰国。その後、コロムビアレコードから『あの人に貰った花』、ビクターレコードから『君去りなば』を発売。1958年(昭和33年)にはNHK「紅白歌合戦」に初出場し、以来4回連続出場を果たしたが、その後、再び日本を離れる。再帰国後の1961年(昭和36年)には石井音楽事務所を設立し、岸洋子や加藤登紀子といった歌手を育て、イヴェット・ジロー、アルフレッド・ハウゼ・オーケストラなど多くの外国人歌手を招聘するなど、シャンソンの普及に尽力。また、同年から毎年7月14日に日比谷野外音楽堂でパリ祭を開催し、プロデューサーとしてシャンソンの魅力を大衆に伝えた。1962年(昭和37年)、アメリカ滞在中に再会した小学校の同級生・土居通夫と再婚。同年12月には、日本人シャンソン歌手としては初めて、パリ・オランピア劇場に出演した。一方、エッセイストとしても活躍し、1963年(昭和38年)には『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。1972年(昭和47年)、フランスより芸術文化勲章オフィシエ章を贈られる。1977年(昭和52年)、シャンソンブームの下火、ソ連の赤軍合唱団の招聘公演の失敗などから赤字がかさみ、石井音楽事務所を閉鎖した。1987年(昭和62年)、紫綬褒章を受章。1990年(平成2年)、フランスのシャンソンの殿堂・オランピア劇場からオファーを受け、日本人初の単独コンサートを開催。1991年(平成3年)には日本シャンソン協会を設立し、会長に就任した。1992年(平成4年)、再びフランスより、芸術文化勲章コマンドール章を贈られた。晩年まで歌手・エッセイストとして活躍し、2010年(平成22年)7月17日、肝不全のため死去。享年87。


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日本にシャンソン文化を根付かせたシャンソン界の第一人者・石井好子。圧倒的な存在感と深みのある低音ボイスで独特の世界観を創り出したシャンソンの女王の墓は、東京都港区の青山霊園にある。墓には「石井家之墓」とあり、右横に墓誌が建つ。戒名は「彩光院慈照好音大姉」。晩年は深緑夏代、高英男、芦野宏と並び、シャンソン界の大御所として君臨していた石井好子であったが、2009年のパリ祭では歌を歌わず挨拶のみで終わったこと、高、深緑といったシャンソンブームを共に盛り上げた仲間たちが相次いで旅立ったことなどから、石井の体調が急に心配になったことを今でもよく覚えている。それまで、石井好子に最も遠いものであると思っていた「死」が急速に近づいてきたように感じられ、当時の私は嫌な胸騒ぎがしていた。結果、その胸騒ぎは的中となってしまった。その訃報に接したのは、夏の暑さが厳しくなりはじめた、日差しの強い夕暮れのときだった。あれからもう七回忌が過ぎ、石井の後を追って芦野宏も鬼籍入りしてしまった。あの半音ずらしたかのような音程の低音ボイスに今なお耳を傾けたくなることがあり、時おり彼女の『愛の讃歌』や『かもめ』などを聴いている。華やかな存在感と豪華な衣装を身にまとった彼女を思い浮かべながら…


by oku-taka | 2017-01-22 03:06 | 音楽家 | Comments(0)