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山田康雄(1932-1995)

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山田 康雄(やまだ やすお)

俳優・声優
1932年(昭和7年)~1995年(平成7年)

1932年(昭和7年)、東京府東京市大森区(現在の東京都大田区)南雪谷に生まれる。幼少時から映画を好み、高校在学時は授業をサボって毎日映画館に通いつめていた。コメディ映画である『虹を掴む男』を観た際、主演であるダニー・ケイのコミカルな演技に惹かれ、「人を楽しませるようなコメディを演じられる喜劇役者になりたい」という憧れを抱く。早稲田大学文学部英文科入学後、学生劇団である自由舞台に入団し、役者としての一歩を踏み出す。1953年(昭和28年)、劇団民藝の試験に合格し、大学を中退して研究生として入団。しかし、自分のやりたいコメディができず、厳しい基礎練習ばかりの毎日に耐えられなかったことから1年で退団し、フリーとなる。1958年(昭和32年)、俳優で声優の熊倉一雄に誘われ、劇団テアトル・エコーに入団。その年の8月に初舞台を踏んだ。その後、劇団のアルバイトとして当時大きな収入でもあった海外ドラマの吹き替えの仕事依頼が来るが、当時は吹き替えの仕事は役者の副業という認識が強く、山田も吹き替えの仕事を軽視しており、「口の動きに合わせて日本語を喋ればいいだけだ」とたかを括っていた。しかし、初めての収録の際に監督から「君の芝居は吹き替えに合わない」と本番前のテスト中に突然降板させられたことで、今までの自分の考えが非常に甘かったと反省。その日から、「吹き替えもまた役者の演技」と心機一転し、芝居の原点に戻って稽古を続けた。1959年(昭和34年)、海外テレビドラマ『ローハイド』の吹き替えにおいてクリント・イーストウッド演じるロディ役に抜擢され、「クリント・イーストウッドの吹き替えは山田康雄」と世間から認知されるほど有名になる。その後、ジャン=ポール・ベルモンド、ピーター・フォンダ 、ブルース・ダーンといった名だたる海外俳優の日本語吹き替えを担当。また、テアトル・エコーの看板俳優として、『日本人のへそ』、『表裏源内蛙合戦』、『11匹のネコ』といった作品に出演し、幅広く活躍した。1971年(昭和46年)、アニメ『ルパン三世』の声優に抜擢。「ふ〜じこちゃ〜ん」「ルパ〜ンさ〜んせ〜」といった独特の抑揚と表現が受け、山田康雄を代表する作品となった。1980年(昭和55年)、「お笑いスター誕生!!」の司会を担当。独特なヘアスタイルと軽快でひょうきんなトークで、お茶の間に広く知られる存在となる。『ルパン三世』と「お笑いスター誕生!!」によってテレビタレントとしての活動が増えた山田であったが、1993年(平成5年)頃から体調を崩しがちになり、同年のTVスペシャル『ルパン三世 ルパン暗殺指令』のアフレコ時には、途中から立っているのが辛くなり、後半は椅子に座って収録した。その後、カリウム欠乏症で歩くことがままならぬ状態になり、入院生活を送る。翌年のTVスペシャル第六弾『ルパン三世 燃えよ斬鉄剣』でも体調不良を押しての出演となり、山田の声は前年以上に勢いが衰えていた。この『燃えよ斬鉄剣』が事実上の遺作となった。1995年(平成7年)2月17日、脳出血を発症し、自宅で倒れる。その後、意識が回復することはなく、3月19日、脳出血のため大田区の東京都立荏原病院で死去。享年64。


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まもなく没後23年を迎えるが、今なお「ルパン三世の声はこの人でなくては!」という声をよく耳にする。63歳という早すぎる死が惜しまれている声優・山田康雄の墓は、東京都府中市の多磨霊園にある。墓には「山田家之墓」とあり、左側に墓誌が刻まれている。「ルパン三世」というキャラの声を長年務め、テレビでの陽気でユーモアあふれる話しぶりから、山田康雄という人はとてもひょうきんな方だとばかり思っていた。そのため、声優と呼ばれることを嫌っていたこと、基本的にはアニメが嫌いなこと、同業者には厳しいことなどを知ったときは非常に驚いた。それでも、自身の仕事に信念とプライドを持ち、「『声優』という職業は存在せず、99%『役者』の仕事の1つに『声優業』という仕事内容がある」、「声優を目指すな、役者を目指せ。演技は全身でするものだ。それでこそ『声優業』も活きてくるんだ」という彼の言葉に深く感動した。昨今のアニメブーム、そして声優ブームを、あの世で彼はどう思っているのだろう・・・

by oku-taka | 2017-01-03 02:20 | アニメーション関係 | Comments(0)