2016年 12月 25日
三代目・江戸家猫八(1921~2001)

三代目・江戸家 猫八(えどや ねこはち)
動物鳴きまね芸人・俳優
1921年(大正10年)~2001年(平成13年)
1921年(大正10年)、ものまね芸の名人といわれた初代・江戸家猫八の六男として東京都豊島区巣鴨に生まれる。本名は、岡田 六郎。幼い頃から父親に伴われ旅興行などについて回るなど、芸に親しんだ生活を送る。ウグイスの鳴きまねを披露する父に憧れ、8歳で初舞台を踏む。その後、喜劇俳優に転向し、1940年(昭和15年)に古川緑波一座へ入団。1942年(昭和17年)、召集され南方戦線を転々とする。ラバウル・北千島の輸送任務で九死に一生を得た後、1945年(昭和20年)に広島県広島市宇品(現在の南区宇品)の陸軍船舶砲兵連隊の兵長として軍務に従事した。同年8月6日、原爆投下に遭遇し、部隊の一員として市内の救援・医療活動に動員。市内に高度に残留していた放射線により被曝し、生涯にわたって二次被爆が原因と思われる体調不良と戦い続けることとなる。戦後復員し、本名の「岡田六郎」で古川緑波の劇団役者として再び活動。1950年(昭和25年)、父の弟子であった2代目・江戸家猫八(後の木下華声)から、父の物真似芸を継ぐよう薦められて弟子入り。寄席修行をしながら芸を教わり、同年に3代目・江戸家猫八を襲名した。その後は、 御家芸ともいえるウグイスやコオロギなどの動物の鳴きまね芸で活躍。1956年(昭和31年)、NHKテレビ「お笑い三人組」に出演し、親しみやすい芸風と容貌で一躍人気者となる。これ以降は俳優業も並行して行うようになり、1989年(平成元年)からスタートした中村吉衛門主演の「鬼平犯科帳」シリーズの相模の彦十役は当たり役となった。1963年(昭和38年)落語協会に入り、1979年(昭和54年)からは落語芸術協会に所属した。同年、文化庁芸術祭の大衆芸能部門優秀賞を受賞。この頃、父の一代記や自らの被爆体験なども盛り込んだ「猫八ばなし」という新しいスタイルを開拓した。1981年(昭和56年)、2度目となる文化庁芸術祭の大衆芸能部門優秀賞を受賞。1988年(昭和63年)、紫綬褒章を受章。1994年(平成2年)、勲四等旭日小綬章を受章。2001年(平成13年)12月10日、心不全のため東京都青梅市の病院で逝去。享年80。


動物鳴きまね芸の第一人者として、「お笑い三人組」のクリーニング屋の八ちゃんとしてお茶の間に愛された三代目・江戸家猫八。私生活では、息子の嫁の姉と再婚したり、自宅の狭い車庫に車を入れる模様が放送されたりと、ユーモアな話題に事欠かない人であった。そんな先代・猫八師匠のお墓は、東京都豊島区の雑司ケ谷霊園にある。墓には「初代 江戸家猫八之墓」とあり、横に墓誌が彫られている。戒名は「鶯妙院清信院日禄居士」。

