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辺見じゅん(1939~2011)

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辺見 じゅん(へんみ じゅん)

作家・歌人
1939年(昭和14年)~2011年(平成23年)

1939年(昭和14年)、富山県中新川郡水橋町(現在の富山市)に生まれる。本名は角川(清水)眞弓。父は俳人で、後に角川書店を創立する角川源義。弟に実業家で映画監督の角川春樹がいる。幼い頃から父親の影響で和歌や俳句に親しんだ。1961年(昭和36年)、早稲田大学第二文学部史学専修を卒業。1964年(昭和39年)、清水真弓の名で私小説『花冷え』を発表し、作家デビュー。後に辺見じゅんと名を改め、私小説・民俗学的作品・ノンフィクションといった様々なジャンルの作品を発表していく。その後、取材で訪れた岡山で、戦艦大和の乗組員であった息子の母親と出会い、残された手紙を読んで深い感銘を受ける。これを機に、残された兵士とその遺族の思いを書くことを決意。1983年(昭和58年)、『男たちの大和』を発表し、翌年には新田次郎文学賞を受賞した。1985年(昭和60年)、弟の春樹と共に「海の墓標委員会」を立ち上げ、委員長に就任。戦艦大和の沈没場所の特定と船体の発見を成功させた。その後も、戦争をテーマとした作品を多く執筆。1989年(平成元年)に発表した『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』では、講談社ノンフィクション賞と大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。一方で歌人としても活躍し、1988年(昭和63年)『闇の祝祭』で現代短歌女流賞を受賞。2008年(平成20年)には、故郷の富山市で歌誌『弦』を創刊し、代表に就任した。2002年(平成14年)、出版社「幻戯書房」を設立し、社長に就任。2010年(平成22年)、富山県に開設予定であった「高志の国文学館」の館長に就任の内定となったが、2011年(平成23年)9月21日、脳溢血のため東京都武蔵野市の自宅で死去。享年72。


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戦争の犠牲となった兵士や国民の声に耳を傾け、その思いを後世に伝えることに生涯を捧げた辺見じゅん。彼女はいま、東京都東村山市の小平霊園に眠っている。墓石には「角川家之墓」と彫られ、左側に墓誌が建つ。戒名「香月院釋尼眞淳」。豪快な人生を送った父や、何事にもエネルギッシュに挑戦した弟の春樹・歴彦と比べると、辺見じゅんは物腰柔らかで穏やかな語り口が特徴的な人であった。しかし、彼女の文章に見られる力強さと熱量からは、やはり角川家の血を感じずにはいられない。そんな辺見じゅんの祥月命日を弟・春樹は「夕鶴忌」と命名し、姉を悼んでいる。


by oku-taka | 2016-10-18 23:40 | 作家 | Comments(0)