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木暮実千代(1918~1990)


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木暮 実千代(こぐれ みちよ)

女優
1918年(大正8年)~1990年(平成2年)


1918年(大正8年)、山口県下関市生まれ。本名は和田つま。女学生時代に文学に目覚め、梅光女学院から日本大学芸術学部に進学。在学中、片瀬海岸で行われた野外劇に出演したのがきっかけで松竹からスカウト。1938年(昭和13年)年、松竹に入社し、『続愛染かつら』の看護婦役でデビュー。その他大勢の端役でワンカットのみの出演であったにもかかわらず、試写の席で松竹大船撮影所幹部の目に留まり、1939年(昭和14年)の『結婚天気図』でヒロインに抜擢。スター女優の仲間入りを果たし、1年余りで準幹部から幹部に昇進した。日本人離れしたルックスとスタイル、妖艶でコケティッシュな雰囲気から「ヴァンプ女優」と評され、大学生や上流家庭婦人などのインテリ層から絶大な支持を受けた。1944年(昭和19年)、李香蘭主演の映画『迎春花』撮影のために訪れた満州で知り合った20歳年上の従兄・和田日出吉と結婚。マスコミの仕事に従事する夫の仕事の関係で満州に渡ったが、終戦にあたり厳しい道中を乗り越えて帰国。1946年(昭和21年)の『許された一夜』で女優業を再開し、1947年(昭和22年)には松竹に正式復帰となった。その後、吉村公三郎監督作品『自由学校』、黒澤明監督作品『酔いどれ天使』、溝口健二監督作品『祇園囃子』と精力的に仕事をこなし、1949年(昭和24年)の今井正監督作品『青い山脈』では妖艶かつ軽妙な芸者役が認められ毎日映画コンクール助演女優賞を受賞した。また、木暮はCMに出た女優第一号であり、「25才以下の方は、お使いになってはいけません!」のキャッチフレーズが話題となったジュジュ化粧品のマダム・ジュジュ、三洋電機のサンヨー夫人として長年親しまれた。その一方、ボランティア活動にも熱心に取り組み、1957年(昭和32年)群馬県にある「鐘の鳴る丘少年の家」の後援会長に就任。1973年(昭和48年)からは法務大臣認定の保護司となった。 1980年(昭和55年)には日本中国留学生研修生援護協会常任理事になり、中国留学生を自宅に寄宿させていた。後年は映画から遠ざかり、活躍の場を主に舞台へと移していた。1980年代後半頃から体調を崩しがちになり、1990年(平成2年)6月13日、心不全のため死去。享年73。没後、勲四等瑞宝章を授与された。


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グラマラスな容姿に妖艶な雰囲気を漂わせた華麗なる女優・木暮実千代は東京都文京区白山にある龍泉寺に眠っている。華美な女優に似つかわしいこじんまりとしたお墓であるが、墓碑に彫られた文字を見ると彼女の華やかさが醸し出され、一瞬にして彼女の墓の存在感が大きく感じる。これは気のせいだろうか・・・正面には「和田家之墓」と記された墓が建ち、右横に墓誌が建てられている。戒名「絢麗院慈觀實相大姉」



by oku-taka | 2016-09-17 23:30 | 俳優・女優 | Comments(0)