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森繁久彌(1913-2009)

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森繁 久彌(もりしげ ひさや)

俳優
1913年(大正2年)~2009年(平成21年)

1913年(大正2年)、大阪府枚方市生まれ。父・菅沼達吉と母・馬詰愛江の3人兄弟の末っ子として生まれるが、2歳の時に父が死去。母方の祖父で南海鉄道の鉄道技師であった森繁平三郎の家を継ぎ、森繁姓となる。1934年(昭和10年)に早稲田大学商学部へ進学し、演劇研究部に所属。後に脱退して、アマチュア劇団・中央舞台(後の人間座)を創立した。1936年(昭和11年)、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。その後、長兄・弘の紹介で東京宝塚劇場(現在の東宝)に入社し、日本劇場の舞台進行係、東宝新劇団、東宝劇団、古川ロッパ一座と劇団を渡り歩いて下積みを過した。1939年(昭和14年)、徴兵制度を避けるために受験したNHKアナウンサー試験に合格。3ヶ月の養成期間終了後、満州・朝鮮各地の放送局網拡大によるアナウンサーの海外赴任策により希望通り満洲に渡り、満洲電信電話の新京中央放送局に赴任した。1946(昭和21年)の帰国後は、帝都座ショーや空気座などの劇団を転々とし、1947年(昭和22年)衣笠貞之助監督の『女優』に端役で映画に初出演する。1949年(昭和24年)、再建されたばかりのムーラン・ルージュに入団。同年4月の舞台『蛇』で川田順をモデルとした主人公を演じ、10月にはミュージカル『太陽を射る者』に出演。演技だけでnaくアドリブのギャグを混ぜて歌も歌うなど、他のコメディアンとは一線を画す存在として次第に注目を集める。1950年(昭和25年)、ムーラン・ルージュを退団し、古川ロッパの推薦でNHKのラジオ番組『愉快な仲間』にレギュラー出演。メインの藤山一郎の相手役を演じ、2人のコンビネーションが人気を呼び、映画や舞台などから次々と声が掛かるようになる。同年、並木鏡太郎監督の喜劇映画『腰抜け二刀流』で映画初主演。1952年(昭和27年)には源氏鶏太原作のサラリーマン喜劇映画『三等重役』に出演し、河村黎吉演じる社長役に対して要領のよい人事課長役で助演した。また、1953年(昭和28年)からはマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズに森の石松役で出演し、第8作の『海道一の暴れん坊』で無念の死を遂げるまで大活躍するなど、森繁にとって初の当たり役となった。1955年(昭和30年)、久松静児監督の『警察日記』で田舎の人情警官を演じた後、同年公開の豊田四郎監督の『夫婦善哉』に主演し、コメディアンから実力派俳優へと転身していった。1956年(昭和31年)に『社長シリーズ』がスタート、1958年(昭和33年)からは『駅前シリーズ』にも主演。両シリーズともに東宝を支えた大ヒットシリーズとなった。一方、舞台では1958年(昭和33年)から芸術座の東宝現代劇第1回公演の『暖簾』から数多くに主演。1959年(昭和34年)には淡島千景と自由劇団を旗揚げし、1962年(昭和37年)1月には森繁劇団を結成。また、ミュージカル屋根の上のバイオリン弾き』ではテヴィエ役を演じ、1967年(昭和42年)年の初演以降、1986年(昭和61年)までに900回もの公演を行い、舞台の代表作とした。テレビドラマでは草創期から活躍しており、『七人の孫』、竹脇無我と親子を演じた『だいこんの花』、『おやじのヒゲ』などの代表作がある。ラジオにおいても、出演者が森繁と加藤道子の二人だけというNHKのラジオ番組『日曜名作座』を1957年(昭和32年)から務め、声色を変えて何役も演じるラジオドラマとして半世紀の間放送された。歌手としては、1955年(昭和30年)に『銀座の雀』がヒット。NHK紅白歌合戦には1959年(昭和34年)の第10回から1965年(昭和40年)の第16回まで7年連続出場し、その独特の節回しは「森繁節」と評された。1960年(昭和35年)に映画『地の涯に生きるもの』の撮影で知床に長期滞在した際に『知床旅情』を作詞・作曲し、1970年(昭和45年)に加藤登紀子によってカバーされた。1980年代以降は、舛田利雄監督『二百三高地』、森谷監督『海峡』など作品の重要な役どころで出演する大物俳優の一人として活躍した。1975年(昭和50年)に紫綬褒章、1984年(昭和59年)に文化功労者、1987年(昭和62年)に勲二等瑞宝章を受章。1991年(平成3年)には大衆芸能演劇者として史上初となる文化勲章を受章した。2002年(平成14年)12月、静養先の沖縄県で心筋梗塞で倒れ一時危険な状態に陥ったが無事に回復。2004年(平成16年)1月2日放送のテレビドラマ『向田邦子の恋文』が俳優として最後の演技となった。2009年(平成21年)11月10日午前8時15分、老衰のため東京都内の病院で死去。享年97。没後、従三位に叙せられると同時に国民栄誉賞を授与された。

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墓所は東京都台東区の谷中霊園。正面には「森繁家」と記された墓が建ち、後ろに墓誌が彫られている。戒名「慈願院釈浄海」



by oku-taka | 2016-07-17 00:00 | 俳優・女優 | Comments(0)