1937年(昭和12年)、群馬県吾妻郡中之条町に生まれる。本名は、堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)。群馬県吾妻郡の中之条町立中之条中学校から群馬県立高崎高等学校に進学。その後、東京大学に入学して文学部英文科へ進む。在学中、小説『砂の投影』で銀杏並木文学賞を受賞。作品は学友会発刊の雑誌『学園』に掲載された。その後も『駒場文学』や『新思潮』などに堀川敦厚の名で小説を発表する一方、ジャーナリストを目指し東大新聞研究所にも通っていた。大学卒業後の1961年(昭和36年)4月にTBSへ入社。当初は報道志望であったが、ドラマ部門に配属され、アシスタントディレクターを皮切りにディレクター・演出家となり、プロデューサーとしても活動。1976年(昭和51年)、脚本家の市川森一とタッグを組み、『グッドバイ・ママ』の演出とプロデューサーを担当。主題歌にジャニス・イアンが歌った『ラヴ・イズ・ブラインド〜恋は盲目〜』を採用し、同曲は日本のオリコン洋楽シングルチャートで8週連続1位を獲得するほどの話題となる。1977年(昭和52年)、山田太一の新聞連載『岸辺のアルバム』のドラマ化にプロデューサーとして参画。主演の田島則子役に岸恵子を予定していたが、これに反対して八千草薫が起用されたり、タイトルバックに多摩川決壊のニュース映像を挿入したり、ジャニス・イアンの『Will You Dance?』をテーマ曲に採用するなどした結果、作品は第15回ギャラクシー賞を受賞。平均視聴率14.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)で当時としてはヒットと呼べるものではなかったが、それまでの「家族で食卓を囲んで最後はハッピーエンド」というホームドラマの殻を打ち破り、辛口ホームドラマというジャンルを確立する革命的な作品として後に評価が高まり、テレビドラマ史に残る名作となった。その後、編成部を経て、1980年(昭和55年)に演出部へ異動。当時、高視聴率を誇っていたテレビ朝日「土曜ワイド劇場」の真裏に、TBSは「ザ・サスペンス」を制作することになり、そこで堀川は企画・演出・編集まですべてひとりで担う意欲的な作品を作り続けた。特に、妻殺しの新聞記事からヒントを得て、当時「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われた竹下景子がソープランド嬢を演じた異色作のモモ子シリーズ(脚本市川森一)は大当たりとなり、15年間にわたって市民社会の欺瞞や偽善を鋭く風刺し、8作が制作された。 また、1作目『十二年間の嘘~乳と蜜の流れる地よ~』で文化庁芸術祭優秀賞、2作目の『聖母モモ子の受難』で芸術選奨新人賞を受賞した。1991年(平成3年)、松本清張の作家活動40周年を記念する競作シリーズが民放4局により企画され、堀川は初映像化となる『西郷札』(脚本金子成人)をプロデュース。同作で文化庁芸術作品賞を受賞した。1993年(平成5年)、清張の芥川賞受賞作『或る「小倉日記伝」』(脚本金子成人)で、日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞。1994年(平成6年)には清張の私小説的な短編から膨大な執筆の原風景に迫る『父系の指』(脚本高木凛)でギャラクシー大賞を受賞した。1996年(平成8年)、離婚した両親と東京で夢を追う3姉妹の家族の再生を描いた3時間ドラマ『東京卒業』(脚本竹山洋)を企画・演出し、第34回ギャラクシー賞優秀賞を受賞。1998年(平成10年)、TBSを定年退職。2001年(平成13年)、吉永小百合主演『千年の恋 ひかる源氏物語』(東映配給)で初めての映画監督に挑戦。興行収入は20億8000万円であったが、堀川の映画監督作品はこの1本にとどまった。2005年(平成17年)、WOWOW戦後60年特別企画で、山田洋次原作・脚本、上川隆也、マコ岩松主演『祖国』の演出を務め、同作は平成17年度文化庁芸術祭テレビ部門(ドラマの部)優秀賞、平成18年日本民間放送連盟賞番組部門テレビドラマ番組優秀賞、第23回ATP賞テレビグランプリ2006グランプリ/ドラマ部門最優秀賞を受賞した。2014年(平成16年)、東日本大震災の被災者や遺族に寄り添い3年後の姿を描いた山田太一ドラマスペシャル・中井貴一主演『時は立ちどまらない』(テレビ朝日)の演出を務め、同作は第51回ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、第40回放送文化基金賞テレビドラマ番組最優秀賞(番組部門)、平成26年日本民間放送連盟賞・テレビドラマ番組優秀賞(番組部門)、MIPCOM BUYERS'AWARD for Japanese Dramaグランプリ、東京ドラマアウォード2014作品賞・グランプリ(単発ドラマ部門)、第19回アジア・テレビジョン賞2014最優秀賞 (単発ドラマ・テレビ映画番組部門)、2014年度芸術祭賞大賞(テレビ・ドラマ部門)を受賞した。2016年(平成18年)、前作に続いて山田太一が東日本大震災から5年後の被災者を描いた渡辺謙主演『五年目のひとり』(テレビ朝日)の演出を務め、第71回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門優秀賞、東京ドラマアウォード2017作品賞単発ドラマ部門優秀賞、2017年日本民間放送連盟賞テレビドラマ種目優秀賞を受賞。この作品が遺作となった。2020年(令和2年)3月28日、肺癌のため神奈川県足柄下郡湯河原町の自宅で死去。享年82。